With CANVAS
Yosuke Matsubara
30 January 2022 

 10年パスポートを再び更新してから1年半立つが未だ手付かず空白のまま。 なにしろ移動の制限が徐々に現れはじめた2020年の頭に訪れた東欧の国ジョージアを最後に前のパスポートは役目を果たし終えた。感染症がはびこるこの時代において移動することに様々な制約が作られては混乱が絶えない。思えば、年に一度は海外へ移動していたことが懐かしい。と言っても、何十ヵ国行ったみたいな経験ではなく大体のページがアメリカ。 若気の至りで当時は海外といえばアメリカだった。旅の道中やその旅行先ならでは のトラブルみたいなのが後で笑って話せるエピソード回顧録。サンフランシスコ 郊外のレストランでは食後に手配したウーバーからいきなり降ろされて、乗ったこ とも見たこともない地下鉄を使えと言われたり。 聞けば、おっちゃんドライバー は家族との夕食の時間を忘れてたから ”ごめん降りてくんない ?” みたいな状況がそういえばあったり。 東のニューヨークではタクシーのおっちゃんにボられた挙句に到着したホテルにもチェックインできずで泣きっ面にハチの場面もあったり。今となっては移動の醍醐味みたいなトラブルはやはり旅につきものだと改めて実感する。 

そんなこんなの2年間で醍醐味を欲している自分がいる。 

最近では、同郷のアーティストと一緒に仕事することが増えてきて国内での展示もちらほら。 

徐々に移動に対する制限も緩やかになりつつある。昨年末、福岡の会場にて作品展示の機会をいただきそこに向けて打ち込んでいた。たて続きにイベントというイベントをこなした濃縮な一週間でもあった。地元の映画館にてドキュメンタリーフィルムのトークイベントの自主企画を協力してもらったことを皮切りに、 各地の美味しいものを集めたパリマーケットの第2段を終えたばかりだった。ご協力いただいた皆さまありがとうござました。それから間髪入れずに福岡へ移動。福岡といえば中学校の修学旅行以来20年ぶりに足を踏み入れた。 一緒にいるアーティストの性格上、期間ギリギリまで創作活動を続ける。最後に仕上がった一番大きなサイズのキャンバス作品が福岡に乗り込む前日。 忘れてはいけなことは離島のハンディというべきなのが作品の搬入なのである。 沖縄はともあれ宮古島は陸続きではないぶん、物の移動においては船か飛行機なのだ。 前者はいわゆるコスパに関しては申し分ないが、海上輸送は日程にゆとりを持つことが必然的である。しかし毎度のごとく作家の性格が災いし、後者の空輸に頼らざるを得ない。空港へ向かうため作家のアトリエから大きめな車両を手配することができた。しかし、用意周到はここまで。 宮古空港へ到着したのも束の間、待ち構えてた航空会社の職員が不安げな表情。貨物スタッフからもギョッとされたり。 結果として職員からの判断は1番大きなキャンバスが飛行機内に入らないと回答があった。そこからカウンターで話し込むこと1時間。親切なスタッフの計らいでキャンバスを羽田空港まで運び、そこから経由で福岡まで再び飛行機で運ぶという”急がば回れ”というアイディアが誕生した。肝心のフライトまで時間が迫っていたため、間髪入れずその作戦を実行することとなった。 

福岡に着き、予め会場に送っておいた作品の展示設営に取り掛かる。 問題のキャ ンバス作品の到着日は展示前日だ。 そわそわしつつも設営を進める。 

便利な世の中なもので画面越しでキャンバス作品の位置情報を何度も見返す。前日になり、キャンバス作品が福岡空港の貨物ターミナルに到着した一方を受け、いざ空港へ。 ようやく作品と落ち合い安堵の表情から一転、再びそわそわが始まる。 貨物ターミナルから展示会場までの車両が全然捕まらない。 作品の到着タイミングもはっきりしなかった為、直前でタクシー会社に連絡するもほぼ全滅。 ジャンボタクシーみたいな大きいワンボックスがないのである。 そわそわが止まらないが時間も止まらない。 その光景を察したのか、 「何運ぶの!」 と、同じ貨物 の待合室にいたおっちゃんが声をかけてくれた。おっちゃんは個人で配送業をしているドライバーらしく、状況を説明するや否やすぐさま会場まで運んでくれることとなった。
救世主の登場である。 キャンバスが会場に到着してすぐさま、あけておいた空間に設営できた。

 

真打ちらしい登場であった。

 

展示初日を見届けた後、ひとあし先に宮古へ帰った。

後日、展示の会期も終え会場の片付けをしている連絡が入った。

終わりよければすべてよしと言うと聞こえはいいが、本当によかった。

作品自体も旅をしてると言うべきか、作品と一緒に旅をしてた気がする。

今年もどんな旅ができるか物思いにふけりながら飛行機にて。

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